東京スカパラダイスオーケストラ/JUSTA
RECORD関連の作品を手掛けるマッド・ディレクターの暴走コラム。モッドに生きるためには? ルーディーであり続けるためには? そのこたえはここにある。かも? こんにちは。MODERNS IN
JAPANの皆さんは最近どのようにお過ごしですか。僕はあいかわらずSHIBUYA-FMで、シナロケの鮎川&シーナさん、山名昇さんと4人でやってるロッキン・ブルーズ、パンク&フュー・スカのラジオ番組『BLUESVILLE
SHIBUYA』(オンエア・ローテーションと過去のプレイリストはwww.rokkets.comまで)を楽しくやらせて貰っている。で、この番組まわりで近頃熱いのが、英国ACEレコードから出てる『THE
UK SUE LABEL STORY』というR&Bのシリーズものコンピ・アルバム。第1集『THE UK SUE
LABEL STORY〜THE WORLD OF GUY
STEVENS』は、すでに日本のP-VINEからも出てて、英国盤は現在VOL.2の『〜SUE'S
ROCK'N'BLUES』(CDCHD-1008)まで出てて、完結編の第3集待ちというところ。ビューティフル・モッズ・ライフを送りたい皆さんには、強くおすすめしたいCDです。
時は60年代初頭、すでに英国向けスカ・レーベル〈ISLAND〉を立ち上げて、ジャマイカとロンドンを忙しく往復していた社主のクリス・ブラックウェルは、ある日、キングストンのラジオから流れるチャーリィ&アイネズ・クォックス「モッキンバード」を耳にする。それでピン!ときたブラックウェルは、一足飛びにNYに行き、同曲をリリースしていたスーというNYインディのオウナー、ジャギー・マレイに会って英国での発売権交渉をするが、芳しくない返事。そこで提案したのが「では、UK
SUEを立ち上げますよ。〈モッキンバード〉以外の、今後のリリースも全てウチで出しましょう」というもの。90年代末、ISLANDをユニバーサルに巨額で売却し、新たにPALM
PICTURESというインディを運営しているブラックウェルは、今日現在も「自家用飛行機で世界中の次の世代向けのボブ・マーリィ、U2、サニー・アデを探してる」(PALM社員談)というブラックウェルの、旅とインスピレーションに基づくフラッシュ・アイデア商法その1が、UK
SUEなのだ。
で、ロンドンに戻ったブラックウェルがレーベルの運営にフックアップしたのが、すでにソーホーのモッド・シーンでは顔役であったディスク・ジョッキー、ロックンロール&ブルーズのグレイト・コレクター、ガイ・スティーヴンス。この頃すでに彼がやってた毎週月曜のDJイヴェント〈THE
SCENE〉は、モノホンのアメリカン・ブルーズを求めるモッズで溢れかえってたという(インクルード、ブレイク前のストーンズやヤードバーズも勿論常連)。
しばらくはアメリカのSUEから送られてくるマスターをおとなしくリリースしてたスティーヴンスだが、持ち前のムチャクチャさとR&Bへの熱気でもって、徐々にUS
SUE以外のカタログを増やし、時には発売許可のおりない曲はブートレグをこさえてまで、モッズ〜R&Bフリークを育て続けたのだ(&私腹も肥やしたね)。
で、巷間伝わるガイ・スティーヴンスの人物評&本CDのライナーで知る彼の行動パターンから察するに、どうもこのお方、愛すべきダメ男でもあったらしく、ブラックウェルはSUE運営ののちもモット・ザ・フープルやフリーの担当を任せたり、パンク時代にはクラッシュ『ロンドン・コーリング』のプロデュースとかもしてたけど、81年ドラック禍がもとで亡くなってる。
僕は、いまどきのガキがけいたいでんわにストラップじゃらじゃらやってるのと、当時の簡便なコミュケーション手段だったスクーターに自分流のデコレイトするのって同じだと思ってて、両者ともなんか可愛いのであるが、やっぱスティーヴンス・クラスにイッちゃった人が先導してたシーンだからこそ熱かったのだと思う。10年前位にブランニュー・ヘヴィーズにインタビューした時に、「80年代半ばに見よう見まねファンク・バンドをやるようなスゲエ奴らは、俺らだけかと思ってた。たまにライヴあってもニューロマンティックスのできそこないと対バンとかだったりしたね。ロンドン中にポツポツとファンク・バンドがいるって気付いたのは、ずっと経ってからだね」みたいに言ってたのを憶えてる。80年代ですら、こうしたカンジで新しいことをやる奴って常に手探りなのだろうけど、スティーヴンスはまして1960年代。沢山のアメリカ盤と輸入雑誌に囲まれて、ロンドン・シーンの、否、スティーヴンス自身の美意識を満たす1曲を探すってのは、じつはけっこう淋しい作業だったのかも、とか思う。
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